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- タイタニックとの一致 -

予想外2-1
「天洋丸」の内装の写真がある。これは一等ラウンジだが、外洋船というだけあって、豪華な作りだ。しかし、これもどこかタイタニックと重なるような気がする。天井には大きな耐久性のあるガラスが嵌め込まれており、船内の明るさを強調している。

そして1908年の年表に同年12月の記載がある。
★三菱合資会社三菱造船所がイギリスパーソンス社との技術提携により国産蒸気タービンを制作
日本初の国産陸用蒸気タービン(発電用タービン)第1号機で出力500キロワットで中央発電所に使用

これはやはり中央発電所に使用したわけではなく、「天洋丸」専用だったのではないだろうか。

★アメリカ観光団650人を乗せたクリーブランド号(1万9千瓲)が長崎に入港
日米国旗を掲げ提灯や打上げ花火で歓迎。
数100人を超す外国観光団来訪は初めて

アメリカと書いてあるが、これはイギリスの視察団だろう。日本人はこういう時、一生懸命歓迎の意を示そうとするのだ。だがしかし、この後浮雲な動きがある。資料とした年表の「1909年」の項目にほとんど記載がされていないのだ。・・・いったい何故なのか。
そして、その理由と思われる写真を発見した。

上の写真を見て欲しい。2本の煙突は僅かに大きさに差がありラインは手書きだ。これは画像を加工したことを完全に示している。船体の全長も短くなっている。後方に繋ぎ目と見られる修正の跡がある。恐らく、記録と合わせるために縮めたのだろう。マストには日本の国旗がはためいているので、「天洋丸」であることは間違いない。
更に不気味なのは、煙突付近の黒い影だ。人がたくさん乗っているのを塗りつぶしているように見える。航行中なのにおかしなことだ。そして、甲板に大勢人が集められているのが確認できるだろうか。いったい「天洋丸」に何が起こったのだろう。


奪われた「天洋丸」

予想外2-2
「天洋丸」は、イギリスに引き渡す前に、試運転のため1年間国内で就航するはずだったという話がある。この写真は、その最中の出来事なのではないだろうか。その写真をそのまま見れば、シージャックされたとしか思えない。まさかとは思うが、イギリスは初めから奪うつもりで建造を依頼したのではないだろうか。しかし、イギリス自体がシージャックするとは思えない。そうなると、誰かに頼んだということになるが、日本の動向に詳しい者たちでなければできないことだろう。
・・・その後、長崎に異変が起きてくる。

1911/03/11★「長崎新報」が更生策ののち「長崎日日新聞」と改題
不敬事件に問われた「長崎新報」が長期発行停止の処分を受け更生策が立てられていた
「長崎民友新聞」「軍港新聞」「島原新聞」とともに同時に統合
長崎県では「長崎日日」と「長崎民友」が共同で統合に抵抗、全国で最後まで残っていた
合併反対派の「長崎民友新聞」の幹部全員が拘束され、その留守中のこと

と立て続けに、新聞社の攻防が繰り広げられている。それも長崎で何故そんなに新聞社が統合合併をすることになったのか。新聞は情報である。それを止めようとする動きと抵抗する動きがあるが、止めようとするのは何か知られてはいけないことがあってのことだろう。
恐らく、何か事件が起きて、そのことについての記事をどこかの新聞社が掲載したのがきっかけになっているかもしれない。当時の記者は、記者根性というか、必ず何か不審な事件があれば究明し、問題があれば抗議する方向へと動いていたからだ。
それがもし、外交に関わる問題であるなら、権力側からすれば自ずと弾圧する方向へ向かうだろうし、個人的な思惑でもどちらかに加担して動くということは考えられる。、

そして、この後にお目見えするのだ。 イギリスのタイタニック号が・・・。



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